我ながら感動な詩?です。
遠い昔のことです。
私は光でした。
ある日仲の良い光がいいました。
「ねぇ、君知ってる?」
「何だい」
「僕が前にいたところでね、とても素敵な場所があるんだ。そこはね、時の半分はお日様が天にのぼり、時の半分はお月様が天に上っていてね、とても綺麗な花がさいていてその花達がまた素敵な香りなんだ。木々には鳥達がいてさえずりも素晴らしいんだ」
仲の良い光は生き生きと答えました。
私は話の半分も理解できませんでした。
「ねぇ、香りって何?花や鳥って?さえずり?」
「ああ、君は生まれたばかりだからそんなことは知らないし、体験もしてないんだね」
「私は君の言ってることがよくわからないけど、知りたいな。どこに行けばその場所に行けるの?」
「とても大きくて強い光がいる。その光に相談するといいよ」
そしてさっそく大きくて強い光に相談しました。
「地球というところがある。そこに連れて行ってあげよう」
私は行ってみることにしました。
地球という所は“肉体”というものをもつようなのです。
“肉体”をもったら私はどう感じるのだろう。
どう行動するのだろう。
私は何しろ光なので想像できません。
強い光はまず私に耳をくれました。
そして、“音”を聞かせてくれました。
“音”の威力に圧倒され私は泣きました。
今までこんなに心が動かされることなんてなかったのです。
強い光は次に目をくれました。
そして色々な光景をみせてくれました。
“みえるもの”に圧倒され、私は泣きました。
今までこんなに心が動かされることなんてなかったのです。
強い光は続いて鼻をくれました。
そして色々な香りを嗅がせてくれました。
“匂い”に圧倒され私は泣きました。
今までこんなに心が動かされることなんてなかったのです。
強い光は今度は手をくれました。
そして色々なものを触らせてくれました。
“触れるもの”に圧倒され私は泣きました。
今までこんなに心が動かされることなんてなかったのです。
最後に強い光は口をくれました。
そして色々なものを食べさせてくれました。
“食べ物”に圧倒され私は泣きました。
今までこんなに心が動かされることなんてなかったのです。
色々なものを強い光にもらって、最初はそんなちょうしだったのですが、すぐに当たり前の感覚になりました。
感動を忘れて感じることが当たり前になりました。
楽しく生きました。辛いこともありました。
強い光のこと、最初の感動を忘れて生きました。
ある時耳が聞こえなくなりました。
聞こえなくなって思い出しました。
あんなに心を動かされ泣いた日のことを。
また、ある時目が見えなくなりました。
見えなくなって思い出しました。
あんなに心を動かされ泣いた日のことを。
そして、ある時匂いが消えました。
嗅ぐことができなくなって思い出しました。
あんなに心を動かされ泣いた日のことを。
ある時、何を触っているのかわからなくなりました。
触れる感覚がなくなって思い出しました。
あんなに心を動かされ泣いた日のことを。
私は泣きました。たくさん泣きました。
ああ“肉体”があって、感覚があったから素晴らしい体験ができたんだろう。
喧嘩もして時に別れて、時に仲直りして、人も自分も嫌っては好きになっての繰り返し。
おいしい、まずい、くさい、香り高い、汚い、綺麗、心地よい音、嫌いな音、いたい、きもちいい、今となってはみんなみんな素晴らしかった。
まずさがあるからおいしさがわかった。
くさいから香り高さが引き立った。
汚いと感じたから綺麗だという感覚に出会えた。
全ては必要なことだったな。
強い光よ、ありがとう。
得て、失って、改めて感じました。
私はふいにそろそろ光にかえることを知りました。
私の目の前に現れたすべての事柄やあらゆる物や生き物や人間に感謝しました。
私は静かに息をひきとりました。
そうやって光にかえりました。
気づいたら仲の良い光が側にいました。
「地球はどうだった?」
と聞きました。
私は答えました。
「とても素晴らしい旅だった。
また遊びたいなぁ」
「それに地球では時間が限られていてやり残したこともたくさんあるんだ」
仲の良い光は答えました。
「それはよかったね。今度は僕も行くよ。一緒に遊ぼう」
私達は共に穏やかでワクワクする気持ちになりました。
そして今度は私と仲の良い光でまた地球に旅することに決まりました。
双子でうまれるのか、親子になるのか、夫婦になるのか、ライバルになるのか、仲の良い光はどの関係も楽しそうだねとキラキラまばゆい光を放ち強い光のもとに向かって行きます。私もそのあとを追いかけて行きます…。
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