私の中では超大作です。
こんな素晴らしい書物が300年前に書かれたとは驚きを禁じ得ません。
素晴らしい子育て本。
『なにものかになるためには、自分自身になるためには、そしてつねに一個の人間であるためには、語ることと行うことを一致させなければならない。いつも取るべき態度をはっきり決め、敢然とそれを守り、押し通さなければならない。p34』
→シンプル!語ることと行うことを一致させることが自分を余すことなく表現すること!それは私たちの魂に対する尊重でもあり、私たちのお役目でもあります。
『公共教育の観念を得たいとおもうなら、プラトンの「国家篇」を読むがいい。…これはいままでに書かれた教育論のなかでいちばんすぐれたものだ。p35』
→それで読んでみたんですよ、ちっとも理解できなかったなぁ。
『世間の教育は二つの相反する目的を追求して、どちらの目的にも達することができないのだ。それは、いつも他人のことを考えているように見せかけながら、自分のことの他には決して考えない二重の人間性をつくるほかに能がない。ところが、そういう見せかけは、すべての人に共通のものだから、だれもだませない。すべてはむだな心づかいということになる。p36』
→同意します。そういうの無くせば本当にシンプルににこやかに暮らせるんでしょうな。
『生きること、それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。…わたしたちがほんとうに研究しなければならないのは人間の条件の研究である。わたしたちのなかで、人生のよいこと悪いことにもっともよく耐えられる者こそ、もっともよく教育された者だとわたしは考える。だからほんとうの教育とは、教訓を与えることではなく、訓練させることにある。p38』
→これもシンプルで素晴らしいですよ。知識を教えることは教育ではない、なにがあっても生きていけるような柔軟性を身につけることを教えることが教育なんでしょうね。そう思うと、学ぶ機会を取り上げている現場は多いでしょうね。
『人は子どもの身をまもることばかり考えているが、それでは十分でない。大人になったとき、自分の身をまもることを、運命の打撃に耐え、富も貧困も意に介せず、必要とあればアイスランドの氷の中でも、マルタ島のやけつく岩のうえでも生活することを学ばせなければならない。あなたがたは子どもが死ぬことにならないようにと用心するが、それはむだだ。そんなことをしても子どもはいずれ死ぬことになる。そして、たとえその死があなたがたの用心の結果ではないとしても、そういう用心をするのはまずいやり方だ。死を防ぐことよりも、生きさせることが必要なのだ。生きること、それは呼吸をすることではない。活動することだ。わたしたちの器官、感官、能力を、わたしたちに存在感を与える体のあらゆる部分をもちいることだ。もっとも長生きした人とは、もっとも多く歳月を生きた人ではなく、もっともよく人生を体験した人だ。p40』
→あ、名言ですね。生きること、それは呼吸をすることではない。活動することだ。わたしたちの器官、感官、能力を、わたしたちに存在感を与える体のあらゆる部分をもちいることだ。もっとも長生きした人とは、もっとも多く歳月を生きた人ではなく、もっともよく人生を体験した人だ。
何にしろコメントしようがないです。素晴らしい言葉過ぎて。
『わたしたちの習慣というものはすべて屈従と拘束にすぎない。p41』
→ですので習慣を捨てましょう。私はまず自分の習慣に気付くことからはじめています。睡眠や食事とかね。。
『子どもが母の胎内を出るとすぐに、体を動かしたり、手足をのばしたりする自由が得られるとすぐに、人は子どもに新たな束縛をあたえる。産衣にくるみ、頭を固定し、足を伸ばさせ、腕を体の脇に垂れさせて、ねかせておく。あらゆる種類のきれやひもを体にまきつけ、そのために体の向きをかえることができなくなる。息もできないくらいしめつけられていなければしあわせだ。p41』
→これを読んで裸で育てることに決めました。御子よ幸いであれ!
『そこで、大きくなろうとしている体の内部の力は、もとめている運動に対して、うちかちがたい障害をみいだす。子どもはたえずむなしい努力をして、力を使い果たし、そのため発育がおくれることになる。p42』
→運動も制限しません。御子が自由でありますように!
『わたしたちは犬や猫の子を産衣でくるもうと考えついたことはない。そうしなかったからといって、犬や猫にとって何か不都合なことが起こったためしがあるだろうか。p45』
→猫に服を着させたことがあって、そしたらすごく動きが緩慢になりました。人間にも同じことが起こってるのかも!
『すこしばかりの苦しみから一時守ってやることによって将来どれほどの事故と危険を子どもにもたらすことになるか、弱い子ども時代をいつまでもつづけさせて大人になったときに苦労させるのは、どんなに残酷な心づかいであるかを考えないのだp52』
→アマゾンの民族の育て方で溺れていても助けなかったり、火傷するとわかっていても見守るという姿勢があるようです。そんなことできるかどうかはわかりませんが、御子を信じて真似してみたい…。
『生まれる子どもの半分は8歳にならないで死ぬ。試練が終わると、子どもには力がついてくる。そして、自分の生命をもちいることができるようになると、生命の根はさらにしっかりしてくる。これが自然の規則だ。なぜそれに逆らおうとするのか。あなたがたは自然を矯正するつもりで自然の仕事をぶちこわしているのがわからないのか。p52』
→半分死ぬ…時代が時代だから半分も死なれると深く悲しみが広がる氣がする。。
『絶望に追い込むのは心の苦しみ以外にはないといっていい。p54』
→体の苦しみだけなら絶望はしないということか。
『教師はもうすっかり作られている人工的な芽を完全に伸ばすことになり、子どもにあらゆることをおしえるが、自分を知ること、自分自身から利益をひきだすこと、生きて幸福になることだけは教えない。p56』
→それを教えてくれる教師がいたら!と思うのであれば自分がそうなるとよいですね。
『命を守るために時間を費やしていては、それだけ命を楽しむ時間が無駄になるから、そういう時間は減らすようにしなければならない。p75』
→これは響きました。私はいつも人々が幸せであるために色々尽力したいと思っているのですが、そのパワーを蓄えるためとかでついつい肉体を最高のパフォーマンスにしたいと思い、そしていつの間にか、肉体を完璧な状態にしたいという目的にすり替わっていることに気づき、びっくりすることあります。肉体を完璧な状態にしたいがためにストイックなことを自分に課して肉体を守ってるんですね。そうではなくて、楽しむことがエネルギーを高めることができるし、人を楽しませることもできるんですね。いやぁ勉強になります!
『それに、物質的なことしか考えないと、ものの半面しか見ないことになる。p78』
→今の科学もそういうことでしょうか?
『ソースや揚げ油をもちいてはならない。バターも塩も乳製品も火を通してはいけない。水でゆでた野菜は熱いまま食卓にだしてから味付けするがいい。肉なしの料理は乳母に便秘を起こさせるどころか、多量のそして質のいい乳を供給することになる。p82』
→マクロビに通じますね。今の助産院でも概ね同じような指導であると思います。そろそろ乳のことを考えた食事に移行した方がよさそうですね!
『人間の吐く息はその仲間に対して致命的である。これは比喩的な意味においてだけではなく、本来の意味においても真実だ。都市は人類の堕落の淵だ。p83』
→これは名言!コンサート会場で感じます。隣の方の息を吸う位置にいると、具合が悪くなって致命傷をおった!!などと考えますが、ジャスムヒーンの考えだとどんな汚染があろうが、プラーナの豊富な今の空気はその汚染たるや微々たるものであると。感謝感謝でございます!
『しかし、子どもが強くなるにつれてしだいに湯の温度を下げていって、しまいには夏でも冬でも冷たい水で洗うがよい。凍った水でもかまわない。…それは筋肉に柔軟性を与え、さまざまな程度の暑さにも寒さにも、なんの努力もせず、なんの危険もなしに適応できるようにするのに有効なやり方だとも考えている。ときには耐えうるかぎりの熱い湯を、また、しばしば耐えうる限りの冷たい水を浴びられるように体をなれさせたいものだ。…空気の温度にたいしてはほとんど何も感じないようになれるだろう。p85』
→私も今も温冷入浴法を続けてますが御子が生まれたら機会を伺ってやってみようと思います。御子よ、幸いであれ。
『生まれたとき、子どもはすでに弟子なのだ。教師の弟子ではない。自然の弟子だ。教師はただ、自然という首席の先生の元で研究し、この先生の仕事がじゃまされないようにするだけだ。p87』
→これも激しく同意します!自然が母ですよ、自分の一部ですよ、やっぱりね。自然と御子との絆を邪魔しないように関わりたいです!
『はやくから暗闇になれさせなければいけない。そうしないと暗いところにおかれるとすぐに泣いたり叫んだりする。食事と睡眠の時間をあまり正確に決めておくと、一定の時間ののちにそれが必要になる。…子どもにつけさせてもいいただ一つの習慣は、どんな習慣にもなじまないということだ。一方の腕でばかり抱いてやってはいけない。一方の手ばかり出させるようにしてはいけない。一方の手ばかり使わせてはいけない。同じ時刻に食べたり、眠ったり、行動したりしたくなるようにしてはならない。昼も夜もひとりでいられないようにしてはならない…ひとたび意志をもつにいたったなら、なにごとも自分の意志でするようにしてやることによって、はやくから自由の時代と力の使用を準備させることだ。p92』
→名言!子どもにつけさせてもいいただ一つの習慣は、どんな習慣にもなじまないということだ。
『人間は自分を弱い者と感じているので、自分の知らないものをなんでも怖がる。なんにも気にせずに未知のものを見る習慣はそういう恐怖心を失わせる。…どんなに恐ろしいものだろうと、それを毎日のように見ている者には恐ろしくなくなる。p93』
→ゴキブリも毎日見ると愛らしくなるのかしら。
『ときどき子どもを動かしてやるようにするがいい。一つの場所から他の場所へ移動させ、場所の変化を感じさせ、距離について考えることを学ばせるがいい。…そしてあなたがたの好きなように子どもを動かすがいい。子どもが望むように動かしてはいけない。p96』
→細かいことですがこういうことも重要なんですね。
『子どもの最初の泣き声は願である。気をつけていないと、それはやがて命令になる。p101』
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