何年か前にヴィパッサナー瞑想の合宿に行きました。
10日前後1日10時間以上瞑想するというものです。サンカーラがよく出てきたのか、とても身体が痛くてこれ以上の苦行は生まれてこの方したことがない程の印象でした。。
最後の1日間はみなさんとお喋りできるのですが、何か言うごとに何かと
「それ嫌悪だね」、
「渇望だね」、
「執着してんね」とお互いコメントしていたのが今思い返してみて微笑ましいような印象的な会話でした。
感想としては自分は何も考えていないと自信?を持っていたのに刺激に対して色々反応していることに気づくことができました。
そんなヴィパッサナー瞑想のダウンロードできるプリントからの引用です。
『生じては消えてゆくということを体験をしないと心を浄化できない ただ観察すること 反応は無知からうまれる。 感覚こそが渇望と嫌悪の始まるところ それに対して平静を保てるとき反応はなく、苦しみから自由になる』
→瞑想中に絶対動かない時間というのがあって、その時の痛みたるや。。平静を保てる瞬間が一瞬でもあればと思っていたのですが。。
頭で考えるのと体験するというのは全く違いますね。
『感覚が現れるまで食べ物、住環境、現在の反応、過去の反応が影響するが詮索してはならない。ただ受け入れる。』
→つい詮索してしまいましたが、過去の反応まで影響するとは私にとっては新たな概念でびっくりしました。
『瞑想をはじめると睡魔がおそう→汚濁。瞑想するのを止めている 苛立ち、動揺→時間の無駄だと思ってしまう。』
→最初のうちは眠かったし白昼夢をたくさん見ました。
『あらゆる部分に感覚を感じ取る訓練 粗雑でも微細でも感じ取る訓練なので順序良く 5-10センチずつ10分 どんな理由であれ感じてる感覚をただ感じる』
→やり方ですね。指導のされてない方はやってはいけないと言われてる箇所です。
『行為に注意深くあれ 行為とは3つある ◎身体による行為◎言葉による行為◎心による行為 言葉も体も心の投影』
→この中では心による行為が一番重要と書かれております。 生きてゆく中で一番重要な部分です。心による行為が愛によるものだと、私も相手も気持ちが良いですね。本当にいいこと書いてあるなぁ。
『瞑想で心の意識層と無意識層の壁をこわすこと、心の平静さをを学べる 激しい痛みにもかかわらず平静さを保てるとき、心の古い習慣をかえられる』
→保ちたい。。
『執着が大きければ大きいほど苦悩も大きくなる 無常なものに対する執着は苦しみ以外の何物でもない』
→執着を手放す方法としてはホームレスになろうと一度は考えましたがまだ遂行しておりません。
医師免許もシュレッダーにかけようと思いましたがまだ遂行しておりません。
現世に対する執着はいかほどか。。
『自分のかけている眼鏡の色に執着している 眼鏡を外せば真実をありのままに見ることできる』
→眼鏡と目が一体化しているパターンは非常に多いですね。あ、眼鏡私かけていたの?とまず気づくことから始めましょう。
その際には言葉遣いが大切なように思います。
例えば「今日は寒い」ではなく「今日は私は寒さを感じている」ですね、厳密にいうと。
寒い暑いはその人の判断だから眼鏡ですね。
こうやった言葉遣いをするとこの例だと寒く感じている私に対して主体性が出るので、では寒さを感じないよう鍛えましょうとか、温まる運動をしましょうとか私が何をすればよいかの対処方法が見えやすいと思います。
少し話はそれた感じになりましたが真実というのは意外にシンプルなんですよね。
『人は望むことが起こらないとき、望まないことが起こるとき緊張を生み、縛り目をつくる』
→塞翁が馬という生き方、ブラボーです。
『自分にはかりしれない執着をもっており苦悩をもたらす』
→私のという執着。私の猫、私の夫、私の考え。特に私の考え。
『心の習性は現在に留まるのを嫌がる』
→これは何故だろう。そうだと思いますが何故今に留まるのが嫌なんだろうか。
ちなみに今この瞬間を丁寧に生きるということを気をつけて実践したら、エネルギー消費が少なくなり、あれもしたいな、これもしたいなという意欲が3割り増しになりました。
『心の汚れが消え、清らかになると自然に他を傷つけることもなくなる』
→素晴らしい言葉!やはりこの人すごいなぁと思う人は必ず愛があって誰も傷つけない態度、言葉をしております。
『借り物の知恵を体験を通して本物の知恵にする 体を離れては真実を知ることはできない。体の外では単に知識を理解しているにすぎないから』
→何でもそうですよね、泳ぎ方の本を読んだって実際泳がなければ泳げるようにはならない、料理だってレシピを見るだけでは料理はできない、実際作らなければ。
実践の重要性について説いてます。
わたしも例えば感謝が重要と知っていますが、なかなか毎瞬感謝してないことに気づき、まだまだだなと思うことが多々あります。
『この世には固体というものはない。つきとめてみると燃焼と振動に他ならない』
→お釈迦様の時代にお釈迦様はそれを現代の科学なしに体感したというのは驚異です。
固体じゃなくて自分は振動だと思うともう少し柔軟性が生まれるのではないでしょうか。言葉通りの意味で。
『心に反意が生まれるときは必ず2つ変化がおこる。1呼吸が普通ではなくなる2感覚が生まれる。内なる観察はこの2つを通して行う』
→怒りや敵意、悲しみなど生まれた時にそんな感覚が起こります。
もし感情に飲み込まれそうになったら呼吸、感覚を感じて下さい。とても有用です。
『何も所有しないと自我、我欲が消えてゆく』
→いま流行り?の断捨離はまさにこの修行をするためでもあります。
チベットかどこかに何も所有せず裸で生活している修行僧がいるようです。持っているのは虫を殺さないための箒だけとか。。素敵です!
『新しいサンカーラが生まれない時過去のサンカーラが引き出され身体の感覚になる。観察し続けると消えてゆく。心地よい、心地よくないということで反応しないこと。平静さは身体の感覚を観察し続けることによって育てられる。』
→瞑想をやり続けることで過去のカルマも消えてゆくという素晴らしい浄化であるようです。 平静であること、悟った人は何が起こっても結果は同じだと知っているようです。
そういった態度でいつもいたいなぁと思います。
瞑想があっている方はやるとスッキリすると思います。
私もたまに瞑想をすると(本当はヴィパッサナー瞑想10日間コースを終えると毎日2時間するのが推奨されてます)スッキリして平静ってこういうことだ。と自分が自分の中心に還る感じがあります。
是非とも興味ある方はやってみて下さい。
(瞑想で開眼したのんびり猫)
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