児童精神に関してあまり興味なかったのですが、御子が私たちを選んで生まれてきてくれたので、俄然興味が湧いてきました。

今日から使える臨床や子育て、生き方のエッセンス満載。

子どもの面接でスクィグルゲームという絵を描いてお互いなにか付け足して別の絵に仕上げていくという方法を通して治療を方向付けていくという内容が載っています。

『彼がアヒルによって自分自身の肉体的欠陥を表していることを、私が彼に説明しなかったことに気づかれるだろう。説明してしまうのは得策ではない。というのは、彼が自分の行なっていたことの意味に気づいていたり、自分自身の肉体的欠陥を表すのにアヒルを意識的意図的に使っていた、ということはまずありえないからである。実際には彼は自分が合指症であるという考えを認めることも、それに対処することもできなかったのだ、と私は考える。p15』

→著者は説明や解釈をしないことがあるようです。その理由が上記。意識にのぼっており、はっきり自分で認識できることでないと感じると説明や解釈をしない。普段臨床でなんとなく説明、解釈をしない時はきっとこのような理由があったのだと自分でも感じました。うまく言語化してくれています。

また著者は解釈は自由な想像に影響するのでしなかったというようなことが時々書いてあります。分析のエッセンスなんでしょうか。

『私は彼が絵を描く時に一方の手で紙を押さえようとしない子どもの一人であることに気づいた。…このことを、依存のほんの小さな徴候と受け取った。これは面接の経過中に、症状としてはすっかり消えてしまうかもしれないものである。p29』

→そうとっていくんだなぁと勉強になりました。しかも面接中に消えることもあると。素敵です。

『このユーモアのセンスは、病気を特徴づける防衛の強固さとは対極の、自由の証である。ユーモアのセンスは治療者の味方であり、…子どもの創造的な想像力と幸福の証でもある。p31』

→ユーモア、それは自由!幸福!

最近ついついユーモアを忘れがちです。リメンバーユーモア!

『精神療法とは、患者の遊ぶことと、治療者の遊ぶこととの、重なり合った領域で行われるものである。p170』

→小児を担当する著者ならでは!と思いましたが、大人の精神療法でも実はそれが核になっているのかもしれない。そうだとしたら精神療法とはなんとパワフルなことなんでしょう!

『彼は以前通り学校ではよく勉強していたが、今までの重圧感が減ったために、成績や学年の順位というような副次的な事柄については、以前より気にしていないようであった。p195』

→これは是非ママリにも書いて欲しい大切なこと。

あくまで勉強という行為において成績や順位は二の次、ただの副産物、大切なことはいかに勉強を楽しめるか、勉強を遊べるか。

勉強への理解が人生への理解につながって、より人生が深まりますように!

『買うことというアイディアが通常、盗みの強迫を覆い隠すために使われ、贈り物をすることがしばしば、同様の強迫を隠す合理化であることを、私は十分承知していた。p207』

→これは深くて、よくよく考えてみる必要があると感じた一文。

『同時に、彼女は自分がかつて喪失したものを見出したために、もはや盗む必要がなくなったことを示していた。彼女がかつて喪失したものとは、彼女自身の内的現実における、あるいは心的表象としての、内的対象としての母親の乳房との接触であった。p218』

→このケースだけではなく、盗みの根底には常にといっていい程の母親の乳房の喪失体験があるのではないかと感じました。

とすると、離乳に対しての考え(文明社会は離乳を急かされる)、母乳にするか粉ミルクにするか、授乳の回数など、乳児期の接し方の重要さが浮き彫りになります。

私自身、文明化されたこの社会の中で働きながらどこまで乳の重要性に歩み寄れるかといえば、

できるだけ母乳で(今のところ御子が生まれて1-3日目の時に大豆でできた粉ミルクを数回あげただけで他は完全母乳)、

必要とされるまで、(今のところ特にこちらからの働きかけで断乳や卒乳することは考えていません)

夜間泣いたら自由に添い乳する

ことが今のところの落とし所です。

他の本などにあったアマゾンの原住民やアフリカの子たちは頻回授乳が普通のようです。文明社会では乳離れしにくくなる、それ無しじゃいられなくなるという理由で頻回授乳をやめるようにいわれてますね。。

『ある程度の空想的言癖は、反社会的傾向や盗みに常に付随し、しばしば盗みが消失した後も続くものである。これは解離の現れである。p245』

→とても勉強になります。子供時代、空想的なことを言う子、盗む子いました。解離だったんだ。

『赤ん坊が「離乳を嫌がる」場合には、しばしば母親側に問題があり、その問題は両価的感情の領域の困難か、または抑うつ傾向である。p250』

→これもママリに書いていてくれれば助かりますね!

両価的感情というのは愛と憎しみなど相反する感情のことですが、その領域の困難というのはグレーゾーンが好きではなく0/100で考えるようなことを表しているのか?

離乳を試みて思うようにいかない場合、自身の氣分を変えるようエネルギーを注げばいいのですね。

『盗みに関連したマークのパーソナリティの解離が示されている。この時点でマークは、彼自身の分裂にほぼ気づいている段階に到達していた。この分裂が、恥や罪悪感や不安を感じることなしに盗むことを可能にしていたのである。p263』

→たまに平氣で犯罪をする人を見かけるかもしれません。

それは解離や分裂がおこっているのですね。勉強になります。

『支持的な設定の中で、このような体験を十分意識して取り戻したので、ルースは直ちに盗みの強迫を消失させ、同時に嘘をつくこともなくなってしまった。p307』

→愛情を喪失したという体験を思い出したことで盗みと嘘がなくなる。氣づきというものはやはり凄いですね。

これを読んでより幅広く人間の理解が進みました。

人々が幸せでありますように!

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