久しぶりのアランの続きです。

『療法だが、家庭から遠ざかることだ。

無関心な人たちのあいだに行って暮らすことだ。

彼らはうわのそらで「ごきげんはいかがです」などとあなたに尋ねるが、あなたが本気になって答えようものなら、逃げ出すだろう。

連中はあなたの苦情なんかに耳をかさず、あなたの胃を締め付ける優しい心づかいをこめた眼差しなどを向けはしない。

こういう状態でたちまち絶望に陥ることがなければ、病気は直るだろう。

教訓-ひとに向かって、けっして顔色がわるいなどと言わぬこと。p112』

→圧縮された文章です。

心配されているご家族がいらっしゃる方、つい「今日も調子悪そう!大丈夫?」なんて声をかけていませんか?

実はそれを止めるだけでも心配されている方が治るという話。

「ますます元氣そうだね」

NLP的には「あれ?自分でとっても元氣なことに氣づいてる?」

とかいいじゃないですか?

「顔色悪いね、大丈夫?」と知り合いに声かけたことがある方がいるようならその人の元氣の足しにならないからやめていただいた方がよいでしょう。

逆に「顔色悪いね、大丈夫?」と声をかけられやすい方、どう答えればよいでしょうね。

「カメレオンみたいになっちゃったのよね〜」とか「あら、ライトの調子が悪いのかしら」とかなのかしら。ウィットに富んだ案、求む。

『ゲーテのすばらしい「ヴィルヘルム・マイスター」の中に、「あきらめ会」というのがある。

会員たちは未来のことも過去のことも決して考えてはならない仕組みになっている。

この規則は、守れさえすればたいへんいい規則だ。

しかし、守れるためには手や眼が忙しく立ち働いていなければならない。

知覚し、行動すること、これが真の療法である。

その反対に、退屈して指をひねくり回したりしていれば、やがて恐れや悔恨の中に落ち込むに違いない。

考えるということは、必ずしもたいへん健康とは言えない一種の遊戯だ。

たいていは、どうどうめぐりをして、さきへ進まない。

偉大なジャン・ジャックが「考えてばかりいる人間は堕落した動物である」と書いたのは、そのためだ。p123』

→これね、いい会ですね!周りの人とこの会作って報告しあったり、1人でもミニ「あきらめ会」を1日10分でもいいからやるとよいですね。

『死の恐怖などというのは、ヒマ人の考えであって、どんな危険なものにせよ、さし迫った行動をすればたちまち消え失せてしまう。

戦闘は確かに、死を考えることのもっとも少ない状況のひとつである。

ここから次のような逆説が出てくるー生というものはこれを満たせば満たすほど、失う心配がなくなる。p125』

→戦闘や戦争は逆に死を考えないというのは面白いですね。とにかく何か行動することがよいのですね。

『私の好みでいえば、警視総監はもっとも幸福な人間である。なぜか。

彼はたえず行動しているからだ。

しかもたえず、新しい、予見できない条件の中で行動しているからだ。

…予見しがたい新しい材料にもとづいて、すみやかにある行動を描き、そしてただちにそれを実行する。

そうすれば申し分なく人生は満たされる。

そのうえいったい何を欲するのか。何を心配するのか。

時間が悔恨を食いつくしてくれる。p138』

→これも行動を賛美。時間が悔恨を食いつくしてくれる。美しい言葉。

『いやなことをがまんするのではなくて進んで行う、これが心地よさの基礎である。

ところが砂糖菓子は口の中で溶かしさえすれば、他に何もしなくともけっこううまいものだから、多くの人々は幸福を同じやり方で味わおうとし、みごとに失敗した。

音楽は、聞くことだけしかせず自分では全然歌わないのなら、たいてい楽しくはない。

だから、ある頭のいい人は、音楽を耳で鑑賞するのではなく喉で味わうのだ、と言った。

…自分でやることはもう、単に判断するだけにとどまらず、探求し征服することである。

…自分でつくりだすことが必要なのだ。p151』

→素敵な文章ですね。心地よさの基礎とはいやなことをがまんするのではなく進んで行うと。嫌なことだと思っても逆に積極的に参加すると意外に心地よい、みなさんも経験あるのではと思います。

音楽聴くのは好きですが歌うと確かに格段の楽しさがあります。

『幸福はいつでもわれわれから逃げてゆく、といわれる。

ひとからもらった幸福をいうなら、それは正しい。

もらった幸福などというものはおよそ存在しないからだ。

しかし、自分でつくる幸福はけっして欺かない。

それは学ぶことであり、そして、人は絶えず学ぶものだ。

知れば知るほど、学ぶことができるようになる。

…いかなる行動においても、真の進歩をあらわす徴は、人がそこにどれだけの楽しみを感じうるかということである。

そこからわかることだが、仕事というものが心を楽しませる唯一のものであり、それだけで十分である。p153』

→凝縮された文章。時々読んでみて噛み締めるといいかもしれない。

自分で作る幸福はなくならない!幸福とは学ぶこと。

私、成長してる?なんて、時に迷子になった時は「どれだけ楽しみを感じているか」を基準にするとよいですね!

最後の文章も素敵。ガンジー、マザーテレサレベル。

心を楽しませる唯一のもの、仕事。

確かに仕事が楽しいと何をやっていても仕事に結びつけて考えて、学んで、知っていきますよね。

『そこで、「いずれはやる」という、怠け者の言葉が出てくる。

しかし人間の言葉としては、「現にやっている」とこそ言うべきだ。

未来をはらんでいるのは行動だからだ。

…やりだせば、どうでもいい仕事などはないことは、だれでも知っている。p160』

→素晴らしい!

何が素晴らしいかというと「いずれはやる」と言ったことがある方、そして私そんなことばかりで怠け者なんではないかしらと思っている方々、あなた方は「現にやっている」のです。

現にやっているのですよ!

ほら、そう思うとなんとなくやる氣が倍増しませんか?明るい氣持ちになりませんか?

『知るとは、どんな小さな物事でもいかに全体と結びついているかを理解することだからだ。p164』

→意味深な言葉。このことについてよく熟考しなさい(この言い回しシルバーバーチだったかな)

つまり行き着く先はやっぱりワンネスなのか。

『彼らは言う。

「われわれが耐え忍ばねばならぬのは現在だけだ。過去も未来もわれわれを苦しめることはできぬ。過去はもはや存在せず、未来はいまだ存在しないからだ。」

しかし、これは真実である。

過去や未来は、ただわれわれがそれらを考えるときにしか存在しない。

それらは判断であって、事実ではない。p167』

→アランの幸福論の2にも書きました。追加の言葉、それらは判断であって事実ではないということです。みなさんが体験してきた体験は事実ではなく、判断を含んだものです。その判断が人によって違う、色メガネのようなものです。とすると、人生は本当に胡蝶の夢、砂上の楼閣、妄想ではないでしょうか。

とすると、過去や未来、そして今に対して感謝して愛を向けることが1番心地よいのではと思います。

『自分のもっている希望しか、ひとにはやれない。

自然の成り行きに期待し、未来を明るく考え、そして生命が勝利を得ることを信ずることが必要だろう。

これは普通思うよりも、ずっとたやすい。

自然なことだからだ。

生きとし生けるものは、生命が勝つものと信じている。

さもなければたちまち死んでしまうだろう。p183』

→生きてる、ということはそれ自体が勝利宣言だということでしょうか。

生きている、それは希望に満ち溢れるということ。それを感じる感受性を高めていくのがよいですね!方法はやっぱり、「考えるな!感じろ!」ですかね。

アランさんったらほんといいことおっしゃいますねぇ。

また読んでまとめたら続きもアップします!

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