続きです。
『日本人の子どもへの愛はほとんど「子ども崇拝」の域に達しているように見えた。p391』
→これが転じて?ママ達は大半自分の子の話に熱中してるんだなと思いました。
『日本人の幼児教育はルソーが『エミール』で主張するところとよく似ていると感じた。…「彼らほど愉快で楽しそうな子供達は他所では見られない」p392』
→この間すごい教育書を発見しました。それがエミールです。
またまとめたら書きます。
そのエミールと昔の日本の幼児教育がよく似てるとは流石日本ですよ!
『赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことは滅多になく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起こしているのを一度も見ていない。p394』
→昔は子供への対応も秀逸だったんでしょうね。
『子供が大人とまったく同じ衣装をしているという事実は、初めわれわれの眼には、彼らにひどく滑稽な外見を与えるものに見えた。p400』
→面白い視点ですね。子供も大人も変わりない服っていうのは滑稽に映るんですね。
『高くて広い、堂々たる古い茅葺の屋根が素晴らしい斜面をなして軒に達し、その上に赤い百合が風にそよいで並ぶこれらの屋根が、如何に美しいかは、見たことのない人には見当もつかない。p434』
→いつかそんな家を作りたいです。
『どの村にも鶏はたくさんいるが、食用のためにはいくらお金を出しても売ろうとはしない。だが、卵を生ませるために飼うというのであれば、喜んで手放す。p500』
→肉食ではなかった昔の日本。動物に対しても情があったんですね。
『つまり彼らにとって、人間が牛乳を飲むのは子牛のものを盗み取る行為に思えたのだ。p.501』
→牛乳を飲んでなかった昔の日本。そのような哲学があったこと、戦後すっかり忘れていましたね。
『死は日本人にとって忌むべきことではけっしてない。日本人は死の訪れを避けがたいことと考え、ふだんから心の準備をしているのだ。p506』
→死も恐れない昔の日本。死ということがどんなことか本当に理解をしてたんでしょうね。
『この時代の日本人は死や災害を、きょうのわれわれからすれば怪しからぬと見えるほど平然と受け止め、それを茶化すことさえできる人々だった。p509』
→素晴らしき神性をまた思い出して行きましょう!
この方重要文化財の毘沙門天立像というようです。
この澄んだ目、水晶です。
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