子連れで歩いていると説教を受ける頻度が増えました。妊娠中からちらほら増えてきていたと思っていたのですが、子連れですと尚更です。
ただ、今のところ御子は比較的に大人しくいますので御子の社会規制の逸脱で説教がくるというよりは、御子が快適ではないのではないかという疑念からくることが多いのです。
よくあるケースは抱っこ紐でおんぶをして御子がネンネしていると、「息してないんじゃない?」「苦しいわよ」「おろして寝かしたら?」「ひどい姿勢よ」「かわいそう」という声です。今書いていて思いましたが特段説教ではありませんね…。
こんなコメントを頂くと、最初は「え?そうですか。そんなことありませんよ」と答えるのですが、次同じように声をかけられると「子どもというのは、小さい頃しっかり密着する方がいいんですよ」と何もまだ批判的?なことを言われてないのに説教っぽい返しをしてしまったことに氣づきました。
それでハッとしました。
世の中で出会い頭に説教を垂れてくる人は、もしかしたら以前出会い頭に受けた説教のフラッシュバックなのではないか。
そうすると説教というのは、人をよくしようというために使われている明るい意図というよりは、自分が傷つかないようにするための防衛の手段として使われているのではないか。
そう思うと説教をしてくる人は説教の犠牲者?なのかもしれなくて、何を言われたとしても「もう大丈夫ですよ」と声をかけた方がより有意義な時間になるのかもしれないなと思うのでした。
海の上まで説教は追いかけてくるかしら?
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